算数や数学が苦手な脳には一定の特徴があると言われています。努力や勉強が足りなかったり頭が悪いわけではありません。
数学や算数はその問題だけたまたま分からなかったという事がほとんどないため成績を大きく落としやすい科目です。
それだけではなく本人は”計算ができないし数字が苦手”という自覚を持っている事がほとんどなので、授業で当てられたりテストを受けることにもストレスを感じるようになります。
数学への理解は世界を肯定的に捉えられる土台になる
算数や数学は世の中のあちこちに使われていて、なんとなく成立してるものはありません。この実感を少しも得られないことは存在意義が喪失する感覚を抱いてもなんら不思議ではありません。

数学がわかると深い洞察を得たり世の中の本質をより正確に捉えられるということでもあります。人間や世界の美しさに触れられたり、俗に『空気が読める』こともでき、落ち着いて過ごせるようになるでしょう。一方、数式や答えが分からなかったり上手く説明が出来なくても感覚的に分かってる人もいたり人それぞれ世界を持っているのが現実です。
それが知能指数のような指標を用いて測定されます。
いつもいつも計算の答えが間違ってると、なんとなく『自分は必要とされない人』のようなニュアンスで心が削られ自信がなくなってきます。また、合ってると思ってた答えがそうではなかったときの落胆も大きいものです。
数学が分からないと承認欲求が満たされない

これもわかるなぁ。塾で悔しさのあまり泣きながら解いたのを思い出してきました。自分が惨めで…。仲良かった子とも数学のできばえがきっかけで距離ができたり。もしかして、それって承認欲求だったのかな。
数学や科学と承認欲求は切り離せないというところがありますね!承認というやり取りは効果が約束されているものや安全性などに使われるイメージがあります。

つまり難しい研究などをしなくても数学ができるほど日常では承認欲求が満たされやすいと考えられます。周りからだけではなく、数学が面白いと感じられるほど自分で自分を認める刺激にも繋がります。一つ一つの答えだけでなく、MENSAや数学オリンピックなどもその一つではないでしょうか。

洞察力があると、人のことがよく見抜けたり占いとかもできそうで楽しそうです。
算数や数学が苦手で学校へ行きたくない人になにかアドバイスはありませんか?
数学で人気者になるひとはそもそも少ない
算数や数学ができると一目置かれるというのは、算数や数学ができないと理論上は周りからがっかりされやすいという裏返しかもしれません。
とは言え人間そのものが承認欲求を満たし続けることは非常に難しく、今後は数学と存在意義について深刻に受け止める必要はありません。
そして最後に、それは自分自身がそこそこ数学ができる側の人間だから感じる悩みでもあり、そうではない人は周りから数学ができることを自分が期待されてるとは全く想像していません。
人にカッコ良いところを見せたい気持ちはあっても、数学で存在感を出したいというのは誰もが思うことではなく、特別な悩みです。

言われてみればそうですね。才能が開花してないだけかも。
この記事のまとめ
数学はできたほうが楽ができるけど、できなければ生きていけないわけではないため、一般的には算数や数字がすごくできる事は必須ではありません。
しかし全く数字が認識できなかったり簡単な計算ができないなど生きづらさを抱えるときは医療的な診断や別の支援が必要になることがあるそうですので、どの程度学校で苦労し、抱える悩みが大きいかなど自己判断ではない慎重な見極めが重要です。
最後まで読んでくれてありがとうございました。















タイトルは数学や算数の問題が全然解けないときの空虚な日常や心理を正確に捉えていると思い、共感できます。