体育の内容って授業にはあってもなくても良いぐらいの立ち位置なのに、絶対なきゃいけないような忖度の雰囲気が漂います。そうした不自然さや演出に敏感な子供は少なくありません。
真面目にやらないと怒られたりするので、その目的や誰に向けてる時間なのかもわからないことも混乱を招きます。
最近では流行のダンスを取り入れたりしながら生徒自身が楽しむことで有意義な時間になる工夫をしてる学校もありますが、まだ全てではありません。
①空気に敏感で、体育の意味のなさが子供の羞恥心を招いてると感じている
②体操着や着替える時間が無駄で自分の体にも体育にも興味がない
③自分は傍観者という意識なので体育をしない
④体育の授業で教師から感情的に怒られたり叱責を受け、嫌悪感が強い
⑤体育を安全な授業と感じたことがない
⑥体育会系の縦社会のノリが苦手
まず文部科学省の公式によると体育は知識であり、経験や理解を会得することは『望ましい態度』として生涯に渡り有効であるとされています。

初めて知りました。忖度や演出ではなく、目的が曖昧になってるまま体育の授業を受けていることが苦手意識の背景にありそうです。
昨今はわからないからやらない、やってみる前にイメージでやらない、何回か触れただけでもう無理というまま進まないことも増えています。
それでは体育嫌いで不登校になりやすい子供の様子と体育による不登校を阻止する方法を知っていきましょう。
①体育の時間は恥ずかしいから
通常授業から体育への準備や気持ちの移行などによって生徒は集中力を欠くことがあるため、羞恥心や緊張を感じる場面が圧倒的に増え、観察しあったり比較したりするのをそれとなく感じるようになります。
体育にもテストがあるため生徒のプレー姿を座って見る時間や自分の番への待ち時間などもよくあります。何とも思わずに授業を受け続けられる子供もいますが、同じ状況下でも感受性やプレッシャーへの対処の仕方には個人差や個性もあります。
自意識過剰であることを悩む方もいますが、自意識過剰であることが原因ではなく、刺激への対処方法がわからなかったり散らばっていることが多くは問題になります。こうした子供は次第に緊張を感じる場面に強い不安や負担を感じるようになり、やがて不登校に繋がります。
体育の時間は特に意味がないばかりか、客観的にも主観的にも恥ずかしい時間であると感じています。
②体操着が嫌いだから
体操着は格好悪いと考え、いちいち着替えるのも面倒なので次第に体育の授業がある日が億劫になり、中でも制服や体操着の着用イメージが理想と乖離感のある子供はいずれ不登校になっていく恐れがあります。
サイズが野暮ったかったり逆に小さく感じられてユニフォームとして機能しない感覚を比較的はじめから持っています。単にツールとして着れてるかどうかではなく、年齢が上がるにつれて似合ってることで安心します。子供はそうした違和感をまだ説明しにくかったり、服装が原因であると思っていないこともあるため親が見過ごしがちな場面です。

体操着などは試着が満足にできなかったり細かいサイズ指定がないために学校生活を左右するのがフィットするかしないかだけの二択という運だけになってしまう仕組みにも少し問題があります。
しかしもともと学校生活に合いにくい子供は自分の身体にも関心が薄く、体育にも関心がないことがあります。学校が好きな子供はダイエットや美容など外的評価に関心か高く、学校生活に合わせるのです。そうした違いから体育で躓きやすい子供は更に思春期になるとありのままでは『自信がもてない』けど『方法がわからない』という葛藤も増えてきます。
体育の時間は週の中で比較的多く、苦手な子供にとって逃げ場がありません。なので、こうした悪条件が揃ってくると学校そのものに行かないという選択をしがちになるのです。
③自分は傍観者だから
自分も主役であり、みんな主役であるという意識が薄く、観察したり見ている側ではないと安心できないので体育は出席しなくなります。
本人の責任だけではなくYouTubeや推し活などの時代背景もあります。このような価値観のなかで育つと、体育などの目立つことは当然望んだひとだけがするものと考えるようになります。そのような思考の偏りが徐々に日常の様々なところに蔓延し、当事者意識が不在となり不登校になりやすいのです。
高校や義務教育をテレビなどがエンタメ化させ、それを子供たちがまともに受け取ってしまうという相性の問題もあります。
④体育で怒られたから
体育という無防備な状態の時に怒られるのは次への不安やトラウマを生み、不登校になりやすい原因です。
怒られる理由によると考えるかもしれませんが、よほど危険なことがない限り怒らないのが正解です。
大人にとって些細なことと考える価値観や古いやり方が過失となり子供の不登校に繋がることがあります。
また、以前と違い上下関係を前提とした叱責は子供に信頼感の喪失や生理的な嫌悪感を生じさせることもあります。
⑤怖いから
根っからの体育嫌いは体育の授業内容に安全なものがあるとは見えていません。跳び箱、大縄跳び、マラソン、マット、ボール投げ、水泳…すべて自分を苦しめ傷つける道具や手段であり、当然体育を楽しむことはできません。
見えてる世界が違うので外からの働きかけでは克服が難しく、体育が学校からなくならない限り恐怖心がある子供はいずれ不登校になってしまいます。
一方で習い事や自発的にする運動はできる子供もいますが、体育の授業とは質や目的が違うため別軸となります。
⑥体育会系のノリがわからない
単にうわべの雰囲気から体育会系が苦手というだけでなく、実際にやってみると『縦社会がわからない』という人も実際には意外に多くいます。
人間は分からないものに恐怖心を本能的に抱く生き物であることは有名ですが、学校生活のなかでは克服する時間も限られることから継続的な苦手意識や恐怖心に繋がり、次第に体育そのものを嫌いになり中には好きで入部した運動部をやめてしまう人もいます。
運動やスポーツ自体は好きでも、独特の上下関係や縦関係に馴染めないのです。また、体育の先生に関しても信頼して悩みを話をしてみたら、無条件に運動のうまい生徒の肩を持つようなことを感情的に言われたなどの悲しい話しも出ています。

体育問題、意外に奥が深かった。そして体育による躓きは不登校に繋がりやすいことが分かった。
体育による不登校を阻止、または解決するには
文部科学省公式による体育授業を行う基礎となる考え方を最初に紹介しましたが、教育機関にはこのようにベースとなる方針や目的があるはずなのですが、生徒側や家庭で共有されにくいことがユニフォームにこだわったり人の目が気になったりという体育の目的から掛け離れた原因に繋がっているようです。
教育目的に基づき先生の授業や学校生活を忠実に実践していくことは、社会貢献にも繋がる良好な態度を身につけることができるという観点から、学校生活や授業内容に疑問を持つほどレールから外れやすくなるという事が示唆されています。
自分は有名な企業に就職して安定した収入を得たい、良い相手と結婚して豊かな家庭を築きたい、好感度の高い芸能人になりたいなど、早い時期から日本に広く貢献するためのビジョンを具体的に描き、嫌なことがあっても希望を失わず信念を貫けるかどうかの教育方針が克服への鍵となります。
体育嫌いまとめ
『体育ってなんのためにあるんだろう…。健康のためでもないし、自分の人生に役立つのかな?』
最近の子供たちは体育を学ぶための負担とメリットを天秤に掛けたり、意義を考える時間として不登校を選択することもあるようです。しかし体育の本当の目的をきちんと知ることで、『体育の授業では失敗しても良かったんだ』と思え、楽しめるようになる子供たちもたくさんいそうです。

実は私も体育嫌いでよく見学したりしてましたが、あれから数十年経ち、更に今回の記事から『体育は自分のため』、で良かったんだと気付きました。
個の確立となる体育授業の目的が知られていないことで、かえって人間や運動嫌いになるほど自意識を強めたりコンプレックスが刺激されてしまうという状況が今後具体的に解決できるといいなと思います。
最後まで読んでくれてありがとうございました♬
















数十年前なら確実になかった分析です。体育がヤラセという見方も斬新。